
現地で肌で感じたことと、これから私たちが目指すべきデータ基盤や組織のあり方について、現時点での私の考えをつらつらと書いてみたいと思います。
導入:LLMやツール選びの先にあるもの
最近、テック業界やビジネスの現場では「どのモデルが精度が高いか(Claude vs ChatGPTなど)」「どの生成AIツール(Claude Code vs Codexなど)を使えば業務が効率化するか」といった議論を本当によく耳にします。
しかし、Summitで様々な知見に触れる中で、「私たちが本当に時間やリソースを割くべきなのは、別のポイントなのではないか」という思いを強くしました。基礎的なモデル性能の向上は、グローバルテックが猛烈な勢いで引き上げてくれますし、トレンドのツールも時代とともに移り変わるからです。
コントロールしきれないツールの選定にリソースを割くよりも、自社が注力すべき競争優位性のポイントは他にあるのではないでしょうか。 それは、「AIが自律的にワークできる環境を、組織とデータ基盤の両面から整備できているか」という点です。
データ観点に絞って言えば、「自社の知識(コンテキスト)を、どれだけAIが理解・活用できる形で整備できているか」に尽きるのではないかと考えています。 これからの企業に必要なのは、単なる「指示待ちの便利ツール」ではなく、「自社のコンテキストを深く理解し、自律的に動けるAIシステム(Agent)」ではないでしょうか。組織戦略と技術基盤、それぞれの視点からお話しさせてください。
第1章:AIがワークしないのは、AIではなく「組織と環境」の問題
「生成AIを導入してみたけれど、思ったより使えないな……」と感じるケースは少なくありません。しかし、それはAIの性能の限界というよりも、「AIがワークできない環境であること」がボトルネックのケースがほとんどだと私は考えています。
具体的には、以下の2点に課題があるケースが多いと感じています。
- AIが活用できない/しにくい組織環境・業務設計になっている
- AIに必要な企業コンテキスト(自社固有の背景や前提)が適切な形で与えられていない
個人的には、最近のAIの性能は「モンスターマシン」に近く、むしろ使う側の環境や設計の能力が試されているなと感じます。この状況を例えるなら、AIが「爆速のF1マシン」、「コース作り」が環境・業務設計であり、「地図作り」が企業コンテキストにあたります。
適切なコース(業務環境・設計)がなければ:
マシンはそもそも走り出せません(AIが活用できない)。仮に動かせたとしても、整備された一部のコースだけを走ることしかできなかったり(部分的・局所的な活用に止まる)、たちまちコースアウト(トラブル・アクシデントの発生)してしまいます。
適切な地図(企業コンテキスト)がなければ:
走る道(AIが活用できる環境)はあっても、目的地(KGI・KPI)や自社の状況(経営/事業戦略やドメイン知識)が分からず、目的地に辿り着けない(目標未達成)ばかりか、まったく違う方向(AIコスト増加 > AIの生産価値)へ爆走してしまいます。
近年のAIコーディングの文脈で整理すると、コース整備が「ハーネス・エンジニアリング( AIが仕事する「環境」の設計)」や「ループ・エンジニアリング(AIが仕事する「流れ」の設計)」、地図づくりがコンテキスト・エンジニアリング(AIに「何を見せるか」の設計)に該当します。
この「コース」と「地図」は、どちらか一方が欠けても機能しません。そして、マシンが安全に走行できるようにコントロールし、環境や地図を整備・設計するスキルこそが、ドライバーである私たち人間に求められているのではないかと考えています。
「使えないから使わない」ではなく、無理にでも使う体制へ
現時点において、AI活用で「ベストプラクティス」を確立できている企業は、世界的に見てもごく一握りなのではないかと思います。実際に現地のSummitで登壇されていた海外のビジネスリーダー、エンジニアやDSの多くも、「まだ暗中模索の状態だ」と口を揃えていました。
だからこそ、「環境が整うまで静観する」という姿勢では、すでに動き出している企業と比べて、いずれ大きな経験値の差や競争劣位が生じると思います。
不完全であっても、まずは業務の中に組み込んで、使いながら「使えるようにしていく」という姿勢へのシフトが必要なのではないでしょうか。
もちろん、その過程では「コストがかかりすぎた」「期待値には遠く及ばない」といった失敗も沢山経験するはずです。でも、その「上手くいかなかったこと」さえもメタなデータとして活用することで、より自社にマッチしたAI活用を加速させる糧(コンテキスト)になります。
私が考えるAIとの向き合い方は「共創(Co-Creation)」です。 最初から完成品を求めるのではなく、日々のフィードバックを通じて、その企業にとって最適な形でAIを使える環境を「育てていく」マインドセットこそが、今求められていると確信しています。
第2章:AI Agentが支える全社横断の意思決定
ツールで一部の作業を短縮することも大切ですが、最終的に目指すべきなのは、部分最適を超えて全社をAIが自律的に支える「Agentic Enterprise(自律型企業)」の姿ではないかと考えています。
「Agentic Enterprise(自律型企業)」をより具体的に言えば、全社のあらゆるデータ(営業活動、プロダクトの利用ログ、顧客の声、日々のドキュメントやコミュニケーション)を統合的・横断的にAI Agentが分析/活用できる環境を作るイメージだと考えています。
これが実現すると、経営層や事業の意思決定者は「何が起きているか」を把握するための報告待ちや、ダッシュボードの分析から解放されます。バックグラウンドで動くAI Agentが常にデータを監視し、「事業戦略のボトルネック」や「方向修正が必要なリスク」をいち早く検知してくれるようになるからです。
意思決定者は「過去の把握」に時間を取られることなく、「次にどの手を打つべきか」という未来のアクションの定義に、リソースを集中できるようになります。 この状態を作ることこそが、「AI-Ready」の実現であり、データ活用のひとつのゴールなのではないでしょうか。
第3章:AIの共通言語となる「セマンティックレイヤー」とオントロジー
では、「Agentic Enterprise(自律型企業)」を実現し、AIに企業コンテキストを正しく理解させるための技術アプローチとはどのようなものでしょうか。
先ほど、AI活用のキモとして「コース(組織・業務設計)」と「地図(企業コンテキスト)」の2つが不可欠だとお話ししました。今回の記事では、この両輪のうち、AIのナビゲーターとなる「地図」、すなわち「企業コンテキストの構築」の領域にスポットを当て、データ基盤の視点からさらに深く掘り下げていきたいと思います。
Snowflakeが提示する「モデル中心からデータ中心へ」の視点
現時点において私は、AI活用の競争力を以下の方程式で捉えています。
AI活用の競争力 = 「価値があるデータの保有量」 + 「企業知識の意味的な構造化具合」
経営戦略のフレームワークに「VRIO分析」という持続的な競争優位性を築くための指標があります。
AI活用において、価値がある(Value)独自のデータ(Rarity)を抱えているだけでは、まだ競争優位にはなりません。そこに、独自のドメイン知識でデータを繋いで意味を構造化し、AIが自律的にワークする組織環境・業務へと組み込むプロセス(Inimitability / Organization)が掛け合わさって初めて、そのデータ基盤は「真にVRIOを満たす資産」として持続的な競争優位性につながると考えています。
ぐるなびでも、そうした「Agentic Enterprise(自律型企業)」を目指して、社内に散らばったデータをSnowflakeに集約するだけでなく、Snowflake CoWorkを活用し、社内データへの強力な分析エンジンとしての基盤構築を進めています。
セマンティックレイヤーというAI時代の「TCP/IP」
この知識の構造化において、コアとなる技術概念が「セマンティックレイヤー(意味階層)」です。これは、よく「AI時代のTCP/IP」になると言われています。
かつてインターネットは、共通の通信プロトコル(TCP/IP)が確立されたことで、OSや機種の違いを超えてあらゆるコンピュータが繋がり、爆発的に普及しました。
現在の企業データとAIの関係も同様です。データベースのテーブルやスプレッドシートの表、雑多なテキストは、人間には理解できてもAIにとっては単なる記号の羅列に過ぎません。
これらバラバラなデータに対し、「これが自社のビジネス上、どういう意味を持つデータなのか」という共通言語を定義してあげる中間層、それこそがセマンティックレイヤーです。
オントロジーによる知識の構造化
そして、このセマンティックレイヤーを具現化するのが、データの意味や関係性のルールを定義する「オントロジー(Ontology)」という概念構造です。
例えば、ぐるなびのビジネスにおける「店舗」「予約」「メニュー」「ユーザーの嗜好」といった概念は、それぞれ別のデータベース、スプレッドシート、あるいはテキストとして散らばっています。
これらすべてのデータをただ集めるだけでなく、「店舗とメニューはどう紐づくか」「ユーザーのアレルギーと食材はどう関係するか」という意味のルール(オントロジー)を厳密に定義します。
どれだけ高度なLLMであっても、この「企業独自のオントロジー(知識の構造図)」がなければ、自社ビジネスに適切な自律的な行動を正しく起こすことはできません。鍵となるデータを繋ぎ、AIが理解できる形に翻訳する技術インフラの構築こそが、AI時代のデータ基盤の本質なのだと考えています。
第4章:成果ゼロに見える「非線形な投資」を乗り越える
理想的なお話をしてきましたが、このデータ基盤戦略を実行する上で、避けて通れない「不都合な真実」があります。それは、Summitに登壇された方も強調されていましたが、データ統合や意味の構造化のための投資は「非線形(Non-linear)」な性質を持つという点です。
半年〜数年やっても成果は目に見えず「ゼロ」に思えるが、ある「臨界点」を超えた瞬間にAI Agentとデータが一気に繋がり、爆発的な価値をもたらす。データ基盤構築とは、こうした性質の投資なのだと考えています。
例えるなら、巨大な建築物を建てるプロセスと似ています。巨大な建築物であるほど、緻密な設計、目に見えない基礎工事、ステークホルダーとの調整等に、大きなコストや時間を要するものだと思います。建設の最中に『まだ誰も住めていない(活用できていない)』『収入・収益を生み出していない』と騒ぎ立てる人はいないはずです。
私たちが挑んでいるデータ基盤構築も、これと全く同じ基礎工事です。 全社レベルの企業コンテキスト(データ基盤)も巨大な建築物に類似していて、そこには初期投資として相応の時間とコストを要します。特に企業規模が大きくデータが多いほど、基本的には時間やコストが必要になると思います。
構築を始めてから成果が出るまでの間は、表面上のビジネス成果が「ゼロ」に見える期間(死の谷)が続きます。社内からも、「コストや時間をかけているのに、何が変わったんだ?」といった厳しい声が飛んでくると思います。しかし、ここでブレて投資を止めてしまっては、今後のAIを活用した競争において、その時点で大きくビハインドしてしまいます。
全社データが統合され、オントロジーによって意味が定義された「臨界点」を超えた瞬間、データ基盤は爆発的な価値を生み出し始めます。この未来を見据えて、地道で泥臭いデータ基盤への投資をやり抜いた企業だけが、真にAIの恩恵を享受できると考えています。
おわりに:AI-Readyな「土台」を築き、変化を味方につける
私たちが今重点的にやるべきことは、AIを前提とした組織・業務プロセス、そしてデータ基盤の再構築、すなわち「勝てる組織/業務設計・データ基盤」の整備にリソースを割くことではないでしょうか。
どれほどLLMが進化しても、それを100%近く活かせる「土台(組織とデータ基盤)」さえあれば、これからの激しい技術の変化はリスクではなく、ただの大きなチャンスになります。盤石な土台の上であれば、新しいLLMやツールは必要に応じて付け替えるだけの「アタッチメント」に過ぎなくなるからです。
正解の見えない泥臭い試行錯誤を高速で回し続けること。そして、最初は成果ゼロに見える「基礎工事(非線形な投資)」を、ブレずにやり抜く覚悟を持つこと。
この地道な歩みの先で、AIは私たちのビジネスを自律的にドライブしてくれる最高のパートナーになってくれるはずです。
ぐるなびは、そんなワクワクするAIを基軸とした未来の組織・データ基盤のあり方を、これからも全力で追求し、形にしていきたいと思います!
